桐生順平(4444)の妻は誰?ボートレーサーになった衝撃のきっかけと私生活
ボートレース界において「神速ターン」と称される圧倒的な旋回技術を武器に、SG制覇や賞金王の座に輝いた桐生順平選手。登録番号「4444」という非常に珍しいゾロ目の番号を持つ彼は、埼玉支部の絶対的エースとして君臨しています。
その輝かしい実績の裏側で、彼がどのような経緯でボートレーサーを目指したのか、そして私生活ではどのような家族に支えられているのか、気になっているファンの方も多いでしょう。実は、桐生選手の奥様はトップ競輪選手の妹であり、自身もボートレーサーを目指していたという異色の経歴の持ち主です。この記事では、桐生順平選手のプロフィールからデビュー当時の秘話、最新の優勝情報まで詳しく解説します。
①登録番号4444 桐生順平(きりゅうじゅんぺい)の象徴
桐生順平選手は、登録番号4444番、100期生としてデビューしたA1級のトップレーサーです。読み方は「きりゅうじゅんぺい」で、埼玉支部に所属しています。彼の最大の特徴であり象徴と言えるのが、ボートレース界屈指のスピードを誇る「ハイスピードターン」です。
通常の選手が減速するような深い角度からでも、異次元のスピードを保ったまま旋回するその姿は、多くのファンや関係者を驚愕させてきました。また、4が4つ並ぶ登録番号「4444」は、競艇界では不吉な数字と捉えられることもありますが、彼はその番号を背負って賞金王にまで登り詰め、不吉なジンクスを実力で跳ね返した象徴的な存在でもあります。
②生年月日・プロフィール・趣味・座右の銘は?
桐生順平選手は、1986年10月7日生まれの39歳(2025年現在)です。福島県石川郡古殿町出身で、身長162cm、体重50kg前後という、ボートレーサーとして理想的な軽量かつ小柄な体格を維持しています。血液型はAB型で、冷静沈着なレース運びと、緻密な整備能力を併せ持っています。
趣味は「買い物」や「家族と過ごすこと」で、最近ではゴルフにも打ち込んでいるようです。非常に家族思いな一面があり、休日はお子さんと遊ぶ時間を大切にされています。座右の銘は、日々絶えず進歩し続けるという意味の「日進月歩」です。スター選手となってからも慢心することなく、常に新しいプロペラ調整や旋回技術を追求し続ける彼の姿勢が、この言葉に凝縮されています。
③ボートレーサーを目指すきっかけは?
桐生選手がボートレーサーを目指したきっかけは、父と兄からの強い勧めでした。高校時代、彼はスポーツの名門校である学法石川高校(福島県)の自転車競技部に所属し、インターハイで3位に入賞するなど、トップクラスの自転車競技選手として活躍していました。
将来は競輪選手を目指すことも考えられましたが、自分より優れた選手を目の当たりにし、「自転車競技ではこれ以上上を目指せないかもしれない」という限界を感じていた時期がありました。そんな時、小柄な体格を活かせる職業として家族からボートレーサーを提案されました。当初はボートレースの知識はほとんどありませんでしたが、自分に向いていると直感し、進路を転換。しかし、養成所の試験には3度も失敗するという苦い経験も経て、4度目の挑戦でようやく合格を勝ち取りました。
④デビューと初勝利(戸田の年月日)
桐生選手は、2007年5月17日に地元である埼玉県・ボートレース戸田でデビューを果たしました。100期の勝率1位という鳴り物入りでのデビュー戦でしたが、初日は3着という結果でした。新人としては上々の滑り出しを見せ、その卓越した操艇センスは当時から注目を集めていました。
待望の初勝利は、デビューからわずか3日後の2007年5月20日です。戸田競艇場での4日目、第6レースに出走した桐生選手は、デビューから6走目にして見事な1着ゴールを飾りました。同期の中でも早い段階での初勝利であり、ここから「埼玉の若き天才」としての快進撃が本格的にスタートしました。
⑤初の1着は何年何月何日でどこの何レース・3連単の配当は?
前述の通り、桐生選手がプロとして初めて白星を挙げた記念すべき日は、2007年5月20日です。場所はボートレース戸田の第6レース。5コースからの進入となりましたが、新人の枠を超えた果敢な攻めを見せ、見事に1着で突き抜けました。
この時の3連単の配当は「5-2-4」の組み合わせで、18,720円という万舟券決着でした。当時はまだ無名の新人だったこともあり、高配当を演出する結果となりましたが、この勝利をきっかけに多くのファンが桐生順平という名前に注目し始めました。戸田の荒れる水面を克服しての初勝利は、彼が「戸田のエース」と呼ばれるようになる原点の一歩でした。
⑥ボートレースでの大きな事故は?
輝かしいキャリアを持つ桐生選手ですが、ボートレース特有の「フライング事故」には苦しめられた時期があります。特に記憶に新しいのは、2015年の大きなペナルティです。同年4月、ボートレース大村で開催されたG1競走の優勝戦において、1号艇の絶好枠でコンマ02のフライングを犯してしまいました。
この事故により、当時のルールで約10ヶ月もの間、G1・G2競走への出場が停止されるという極めて厳しい処分を受けました。SG覇者でありながら、主要な大きなレースに出場できないという絶望的な状況でしたが、彼はこの期間を自分を見つめ直す時間とし、一般戦でひたすら勝率を積み上げました。復帰後の2016年2月には、多摩川のG1でいきなり優勝を飾り、事故という試練を乗り越えてさらに強くなった姿を証明しました。
⑦初優勝は?(いつ、どこの競艇場か?)
桐生順平選手がプロとして初の優勝を手にしたのは、デビューから約4年が経過した2011年8月18日のことでした。場所は地元・ボートレース戸田で開催された「第34回戸田ボート大賞サンケイスポーツ杯」です。
それまで何度も優勝戦に進出しながらも、あと一歩のところで優勝を逃す「シルバーコレクター」のような時期もありましたが、地元ファンの大声援に背中を押され、22回目の優出にして悲願の初Vを達成しました。この優勝を機に、勝ち方を覚えた桐生選手は一気にトップ層へ駆け上がり、同年のSG初出場や後のSG初制覇へと繋がる大きなターニングポイントとなりました。
⑧一番近い優勝は、何年何月何日?どこで?(トータル何回目の優勝)
桐生選手の最新の優勝は、2025年12月21日にボートレース徳島(鳴門)で開催された一般戦「第12回ALSOK徳島杯競走」です。この優勝により、桐生選手は通算での優勝回数を「65回」へと伸ばしました。
このレースでは、1号艇から圧倒的な人気に応えてイン逃げを決め、貫禄の勝利を収めました。3連単の配当は「1-2-4」で780円(1番人気)という堅い決着でしたが、ファンの期待を裏切らない安定感は流石の一言です。また、2024年10月には地元・戸田でのSG「ボートレースダービー」でもまくりを決めて優勝(3連単3-5-2で48,420円)しており、近年は再びビッグタイトルを手にするなど、その勢いは増すばかりです。
⑨私生活と現役状況
現在の桐生選手は、ボートレース界の最高峰であるA1級として、全国各地のビッグレースで主役を務めています。特に2024年のボートレースダービー制覇後は、賞金ランキングでも常に上位をキープしており、40歳を目前にして円熟味を増したレース運びを見せています。
私生活では、高級車メルセデス・ベンツのGクラス(ゲレンデ)を愛用するなど、トップレーサーらしい華やかな一面もありますが、性格は非常に謙虚で真面目です。レース期間外は、後輩である弟子・平川香織選手の指導に当たるなど、埼玉支部のリーダーとしても大きな責任を果たしています。また、同県のスター選手である毒島誠選手とは非常に仲が良く、共同でオンラインショップを運営するなど、レース場外でもファンを楽しませる活動を行っています。
⑩独身?結婚してる?交際している相手はいるの?
桐生順平選手は、2012年10月に結婚されており、現在は独身ではありません。お相手は、佐藤絵美(さとうえみ)さんという女性です。絵美さんは、競輪界のレジェンドであり2019年の賞金王でもある佐藤慎太郎選手の妹という、まさにアスリート一家の出身です。
驚くべきことに、二人の出会いは「ボートレーサー養成所」でした。実は妻の絵美さんもボートレーサーを目指して訓練を受けていた時期があり、そこで桐生選手と知り合ったそうです。絵美さんは残念ながら途中で退学されましたが、過酷な勝負の世界を熟知している彼女は、桐生選手にとって最大の理解者であり、最強のサポーターです。現在はお子さんにも恵まれ、幸せな家庭環境が桐生選手の神速ターンの源となっています。
⑪まとめ
桐生順平選手は、父と兄の勧めで自転車競技から転身し、3度の不合格を乗り越えてボートレーサーとなった不屈の精神の持ち主です。登録番号4444という象徴的な数字を背負い、神速ターンでSGを4度制覇、そして賞金王にも輝きました。
私生活では、養成所時代に出会った佐藤絵美さんと結婚し、二児の父として充実した生活を送っています。大きな事故やペナルティを乗り越えるたびに、彼は「日進月歩」の言葉通り、より速く、より強く進化してきました。これからも埼玉のエースとして、そして日本のボートレース界を代表するスピードスターとして、ファンの期待を超える走りを見せてくれることでしょう。
彼の次なる目標である地元SGでのさらなる活躍、そして再びの賞金王返り咲きを、これからも熱く応援していきましょう。

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